キハ28 319 → キハ28 2319



1963年9月20日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット317〜320全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。和歌山は冷房化の開始自体は非常に早かったが非冷房車も長く残っており、当車はキハ58系冷房化のラストとなる1980年6月19日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けでを行い2319へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後山陰地区西部で活用することになり、1985年4月25日付で小郡へ転出した。小郡では当時多数配置されていた若番車を置き換え、急行「さんべ」「ながと」で使用された。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は色を変えながら急行で活躍し、1989年10月2日付で赤色ベースの「広島急行色T」に、1992年3月28日付で緑色ベースの「広島急行色U」に塗装変更された。しかし1997年3月のダイヤ改正で急行「さんべ」は廃止され、これ以降他の普通列車用と同様黄色の「広島普通色」へ塗装変更され普通列車で運用された。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。その後は1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2002年8月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強は和歌山時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すり原形のままで、小郡転出後のワイパー更新である。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りは残っている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が完全に撤去され無くなっている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。


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