キハ28 322 → キハ28 2322 → キハ28 5513



1963年10月3日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット321〜323全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。その後1970年8月10日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2322へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車は1985年3月13日付で敦賀へ転出した。敦賀では主に小浜線の急行「わかさ」「はしだて」「丹後」で活躍したが、1986年3月には七尾の2317と車両交換があり当車は3月3日付で七尾へ転属した。七尾では初期車に代わり急行「能登路」の他七尾線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年度で「七尾普通色」へ変更され七尾線・能登線の普通列車で活躍した。1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、七尾の気動車配置は廃止され当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年1月23日付でロングシート化改造を受け、5513へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾普通色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年7月31日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年12月6日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で前面補強されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく位置が下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当次車以降の特徴である乗降ドア下部隅の丸窓は撤去され存在しない。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、クーラーはメッシュタイプのルーバーのものが取り付けられている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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