キハ28 326 → キハ28 2326



1963年12月20日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット326〜328全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。当車はキハ58系冷房化では最末期の1980年3月31日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2326へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車は1985年3月13日付で七尾へ転出した。七尾では初期車を置き換え急行「能登路」で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年12月にはキハ53投入による短編成化で捻出され、再び亀山へ転属している。亀山では関西本線の他片町線で活躍した。片町線の電化後も引き続き関西本線で使用された。1990年より関西本線のワンマン化が行われることになり、当車も1989年12月17日付でワンマン化及び近郊化改造が施工され、関西本線のワンマン運用で使用された。しかし関西本線でのワンマン運用は長くなく、1994年のダイヤ改正で関西本線はキハ120化され余剰となった。当車は小郡に残留していたキハ45系置き換えのため1994年12月3日付で小郡へ転属し、山口線・山陰本線西部で使用開始した。小郡転出後は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され、ワンマン設備も撤去された。1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1997年4月8日付で廃車となった。

前面は、亀山時代に高砂工場にて前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーであるが七尾時代に運転席側に傘状のカバーが設置されている。金沢地区の傘状カバーは通常助手席側に取り付けられており、運転席側のみに付いているのは大変珍しい。テールライトは内ばめ式のままである。なお当車は亀山時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーはそのまま残されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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