キハ28 330 → キハ28 2330



1964年2月10日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で鹿児島機関区に新製配置された。同一ロットは当車のみである。鹿児島では急行「フェニックス」「かいもん」「青島」等、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で活躍した。1968年度には急行「えびの」用として熊本へ転出した。急行「えびの」は肥薩線の勾配の関係で長く非冷房のままであったが、九州内キハ58系冷房化末期の1972年4月4日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2330へ改番された。しかしながら冷房化直後には比較的平坦な長崎本線急行のキハ65と車両交換があり、当車は1972年度中に長崎へ転出した。長崎では急行「いなさ・弓張」等の長崎本線系統の急行で使用されたが、「57-11改正」で長崎本線の急行が全廃された後は旧型客車やキハ55系に代わり普通列車で使用されるようになった。また「59-2改正」で715系電車投入により気動車普通列車も電車化が進められた後は大村線や松浦線を主な活躍の場とした。そしてそのままJR九州へ継承された。長崎ではボックスシートのまま普通列車用とされ1988年6月3日付で九州色へ変更され、新設された快速「シーサイドライナー」を中心に活躍した。1992年7月15日のダイヤ改正で快速「シーサイドライナー」の体質改善のため各地からアコモ改造車が転入し、車両の大幅な入れ替えが行われたが、当車は引き続き長崎に留まり、主に普通列車で活躍した。この状態は長く続いたが、2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われキハ200及びキハ66・67が転入した際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形である。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、概ね九州標準の形態であるが、運転席側にタイフォン横にもステップが付いている。放送用ジャンパ受栓は、小倉工場で多く見られる、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。長崎では、幌枠に取り付けるタイプのヘッドマーク(シーサイドライナー用)を使用していたため、貫通扉にヘッドマークステイは取り付けられていない。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。300番台以降の乗降扉下部隅の丸窓は、撤去されており存在しない。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。当車は床下水タンクが原形の鋼製のままである。


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