キハ28 331 → キハ28 2331 → キハ28 5515



1964年2月21日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット331・332のうち当車のみ米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1971年度には需給の関係で鳥取へ転属し、引き続き山陰本線の急行「白兎」を中心に活躍した。1972年8月30日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2331へ改番された。その後も急行「白兎」の他、「みささ」「但馬」「砂丘」等で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」では急行「みささ・みまさか」の減便及び山陰本線西部の急行整理が行われ余剰となり、1985年6月5日付で七尾へ転出した。七尾では初期車に代わり急行「能登路」の他七尾線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年度で「七尾普通色」へ変更され七尾線・能登線の普通列車で活躍した。1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、七尾の気動車配置は廃止され当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年1月23日付でロングシート化改造を受け、5515へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾普通色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年9月8日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、鳥取時代に後藤工場で前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送用ジャンパは、ステップ下部に設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは原形のシャッター式である。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。5次車以降の特徴である乗降ドア下部隅の丸窓は撤去され存在しない。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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