キハ28 333 → キハ28 2333



1964年3月11日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区に新製配置された。同一ロット333・334のうち、当車のみ山形へ配置された。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が続き、東北本線全線電化の「43-10改正」時に、盛岡の800番台車と入れ替わる形で当車は盛岡へ転出した。盛岡では東北本線の幹線急行で使用されたが、1972年より急行「しらゆき」が一部冷房化される際に当車はその種車に抜擢され、1972年10月19日付で冷房化及び4VK電源セット取り付けを行い、2333へ改番されている。そして急行「しらゆき」の青森編成用として青森へ転出したが、1973年には青森運転所の運用が盛岡と秋田へ移管されることになり、当車は1973年10月1日付で秋田へ転出した。その後は国鉄末期まで急行「しらゆき」で活躍したが、「57‐11改正」で急行「しらゆき」が廃止された後も引き続き秋田に留まり、残った急行「むつ」等で使用された。「60-3改正」では急行「むつ」の廃止とともに、急行「陸中」の冷房化が行われることになり、当車は1985年3月14日付で盛岡へ転属した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き急行「陸中」を中心に活躍したが、1988年度に登場予定のジョイフルトレイン「エーデルワイス」用の種車キハ28 2509を巡る車両交換があり、1988年6月1日付で秋田のキハ28 2509が盛岡へ転出し、当車は入れ替わりで秋田へ転出した。秋田では急行「よねしろ」をはじめ、秋田近郊の普通列車で使用された。その後1992年より急行「よねしろ」がアコモ改造車による限定運用となり、同改造を受けなかった当車は普通列車及び波動輸送専業となった。1990年11月には機関が新潟製DMF13HZへ換装され、1993年頃までに塗装が「秋田色」へ変更された。その後は田沢湖線の気動車運用廃止や、奥羽本線系統運用の701系電車化により運用範囲が狭まり、また他区からのキハ40系転入により次第に波動輸送や予備車的な運用が主体となった。しかし老朽化が進んだことから2000年8月1日付で廃車となった。

前面は、JR化後に土崎工場で前面補強されているが、補強板の境界線は滑らかに仕上げられており分かりづらい。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のままシャッター式である。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口は、両側とも残存している。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が原形のまま残されている。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時に埋められている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また、当地区では側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目の窓下にサボ挿しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは複線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。後位側に4VK冷房発電ユニットを装備している。


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