キハ28 339


1984年頃の姿

1964年4月3日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で小牛田機関区に新製配置された。同一ロット339〜342のうち、339〜341が小牛田へ配置された。小牛田では急行「陸中」をはじめ、東北本線の幹線急行で活躍した。小牛田では長く活躍したが、1970年のダイヤ改正で運用変更により1970年10月1日付で新潟へ転属した。新潟では急行「うおの」「よねやま」「羽越」等、比較的平坦線の急行で使用された。この状態は長く続いたが、1982年11月改正以降残った急行の冷房化が計画されると1980年後半より冷房車と非冷房車の交換が行われることとなり、当車は九州の冷房車と交換されて1981年2月20日付で長崎へ転じた。長崎では長崎本線・大村線・松浦線などの普通列車で活躍したが、1984年2月改正で長崎本線普通列車の電化が強力に推し進められると余剰となり、1984年2月2日付で直方へ転じた。以降竹下と直方を転々としながら北九州のローカル普通列車で活躍したが、急行の削減・減車で状態の良い冷房車に余裕が出てきたことや特定地方交通線の廃止が進んだことから余剰となり、1986年12月1日付で廃車となった。

前面は、急行色の境界と近いため分かりづらいが小倉工場で前面補強されているように思われる。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の通風口は左右とも残存している。放送用ジャンパ受栓は助手席側タイフォン横に足掛けと一体型台座付きで設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されており、改造痕の無いタイプなので新潟時代からの施工と思われる。タイフォンは九州タイプのスリットカバーになっている。正面窓上の小手すり上部に架線注意札が付いており、新潟時代の名残である。
側面は、ほぼ原形のままである。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下もほぼ原形で、新潟時代のスノープロウは撤去されている。新潟では水タンクのFRP化が早くから進められたが、当車が換装されたかどうかは不明である。


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