キハ28 342 → キハ28 2342



1964年4月3日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット339〜342のうち、当車のみが米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。当車は長らく非冷房のままで残り、「51-3改正」時に米子の運用の一部が岡山へ移管された際に非冷房車が岡山へ転出することになり、当車はキハ28 406と共に1976年3月1日付で移動した。転属後すぐの1976年8月2日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2342へ改番されている。岡山では急行「伯耆」「砂丘」「みささ」で活躍した。国鉄末期には急行の削減が行われたが、当車は残った急行「砂丘」で引き続き活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年3月改正で岡山の急行「砂丘」運用が鳥取へ移管され、以降は岡山周辺のローカル輸送及び波動用として使用された。予備車的な存在で活躍の場は少なかったが、長く生き永らえた。しかし2000年以降はさすがに老朽化が目立つこととなり、キハ40系に余裕も出てきたことから2003年1月8日付で廃車となった。

前面は、前面補強は岡山時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式のままである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、岡山ではよく見られた形態である。岡山は晩年は後藤工場の担当であったことから、正面窓上の通風口・水切りは撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。


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