キハ28 343 → キハ28 2343



1964年3月19日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度利用債で長崎機関区に新製配置された。同一ロットは当車のみである。長崎では主に長崎本線系統の急行で使用されたが、同年度中に大分へ転属している。大分では豊肥本線・久大本線等の横断線の急行列車で使用されたが、1965年には竹下へ転属した。竹下では再び長崎本線系統の急行をメインに、九州内各線の急行で活躍した。そしてキハ58系では比較的早期の1969年7月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2343へ改番された。鹿児島本線が電化された後は主に長崎本線で長く活躍した。国鉄末期の「57-11改正」で長崎本線の急行が廃止された後は主に博多近郊の普通列車で使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年3月の車両交換で長崎へ転属し、長崎本線や大村線の普通列車の他、新設された快速「シーサイドライナー」で活躍した。1992年7月15日のダイヤ改正で快速「シーサイドライナー」の体質改善のため各地からアコモ改造車が転入し、車両の大幅な入れ替えが行われたが、当車は引き続き長崎に留まり、主に普通列車で活躍した。その後1994年3月のダイヤ改正で長崎にキハ200系が新製投入されたことから当車は捻出され、1994年2月28日付で大分へ転属した。大分では客車列車を置き換え原形シートのままで活躍し、豊肥本線・久大本線の非ワンマン列車で使用された。久大本線のワンマン運転開始後も引き続き使用され、1997年には香椎線へのキハ200投入に伴う車両転配で相棒のキハ58は若番の原形シート車から後期車の近郊化改造車へ後退したが、キハ28はもともと絶対数が少なかったことから代替車が無く、そのまま継続して使用された。しかし最期は2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われた際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形である。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、小倉工場で多く見られる、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。竹下・大分時代特有の「タウンシャトル」の逆台形状のヘッドマーク受けが取り付けられている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項であるが、当車は助手席側のみのタイプである。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。


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