キハ28 346 → キハ28 2346



JR西日本で廃車後いすみ鉄道へ譲渡され、2018年現在でも営業運転に使用される最後のキハ58系。

1964年4月15日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット344〜348のうち、344〜346が米子へ配置された。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1971年度に運用持ち替えで鳥取へ移動したが、引き続き山陰本線の急行「但馬」「白兎」等で使用され、1972年7月31日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2346へ改番された。その後も引き続き山陰本線の急行や新たに鳥取の担当となった急行「砂丘」で長く活躍した。しかし国鉄末期の「60-3改正」では急行の編成短縮等の減量ダイヤが実施され余剰となり、他区の老朽車淘汰に活用されることになり、1985年6月5日付で七尾へ転出した。七尾では若番車に代わり急行「能登路」や七尾線の普通列車で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1987年度中に近郊化改造され、ローカル輸送専属車となり、1988年2月24日には「七尾普通色」へ変更された。その後1991年の七尾線電化に伴い富山鉄道部へ転出し、グリーンの高山線色となり再び高山線を活躍の場とし、同線のワンマン化のため1992年2月5日付でワンマン化され同時に塗装も緑色ベースの「高山色」へ変更された。その後高山線のキハ120型化により1996年3月16日付で高岡鉄道部へ転出し、氷見・城端線を活躍の場とした。転入当初は白色ベースに青と黄色の高岡色U-2となった。2000年には姫路・加古川より高岡へキハ47が転入した関係で捻出されるが、小浜区の状態の悪いキハ28と交換することとなり、2001年3月15日付で小浜へ転出した。以降塗装も小浜色へ変更され活躍したが、2003年の小浜線電化で余剰となり、高岡の状態不良車と交代することになり、2003年3月15日付で再び高岡へ転入した。転入後は赤色ベースの高岡色Vへ変更され、氷見・城端線で活躍した。しかしながら氷見・城端線は各地からの余剰キハ40系により徐々にキハ58系は置き換えられ、当車も置き換え間近となっていたが、高山線の増発社会実験用車両に抜擢され、再び高山線で活躍すべく、2007年4月1日付で北陸地域鉄道部へ転出した。その後、高岡色Vのまま社会実験終了まで活躍した。社会実験終了後は他の3両が次々と廃車・解体される中当車は「いすみ鉄道」へ譲渡されることとなり、2012年7月24日付で廃車となったのちに金沢総合車両所で整備及び急行色への復元がなされた。そして「いすみ鉄道へ譲渡され、2018年現在でも唯一の原形をとどめるキハ58系の営業車両として活躍している。

当車は鳥取時代の面影を色濃く残している。
前面は、鳥取時代に後藤工場で前面補強されている。運転席窓下の手すりは、運転席側がワイパーのWP50化により短くなっており、後藤工場の標準形態である。制御ジャンパ受栓位置やステップの位置も後藤工場標準である。放送ジャンパ受栓は、ワンマン化により1本増えて助手席側ステップ下部へ設置されている。タイフォンカバーは、新製時よりのシャッター式である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の水切り・通風口とも撤去されており、晩年の金沢地区標準の形態である。当車はいすみ鉄道譲渡後、貫通扉にヘッドマークステイが取りつけられている。国鉄時代の千葉地区のものと類似しているが若干寸法が小さく、同一品ではない。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓のみに水切りが追設されているのは、金沢地区の共通事項。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのも、金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。後位側便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋が金沢時代に追設されている。
屋根上では、中央部の通風器が1基のみ取り外されている。また当車は塗戻しの際に雨どいが赤色に塗られている。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは角型のものに交換されている。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側にカセット式の汚物処理装置が取り付けられている。


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