キハ28 347



1964年4月15日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所に新製配置された。同一ロット344〜348のうち、347・348が青森へ配置された。青森では奥羽本線の幹線急行で使用された。1965年には青森に増備車が投入されたことから当車は同年度中に山形へ転出した。その後キハ58系の増備と共に東北北部では車両の交換が相次ぎ、東北本線全線電化の「43-10改正」時に再び青森へ転出した。青森では急行「しらゆき」等で活躍したが、青森運転所への特急型車輛増備に伴い同所の急行型気動車は秋田へ移管されることになり、1972年3月で秋田へ転属した。秋田では急行「しらゆき」「おが」の幹線急行の他、支線急行でも活躍した。国鉄末期の「57-11改正」で急行が大幅に削減された後も引き続き秋田に留まり、非冷房であることから主に秋田周辺の普通列車で運用された。「59-2改正」では他系列を含めた大幅な車両転配が行われ当車は1984年2月1日付で山形へ転出している。山形でも奥羽本線・左沢線・長井線をはじめ山形近辺の普通列車で活躍したが、「61-3改正」ではキハ40系との交換等による車両転配があり当車は1986年3月3日付で再び秋田へ戻った。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き奥羽本線・男鹿線・田沢湖線等で普通列車で使用された。1990年10月には機関が新潟製DMF13HZへ換装されている。しかし1993年より秋田地区に701系電車が投入されると50系客車列車のみならず架線下気動車列車も電車化されて当車は余剰となり、1995年3月1日付で廃車となった。当車は最後まで急行色のままであった。

前面は、秋田時代に土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイルである。当車は非冷房車ながら、制御用ジャンパ線受が、冷房車のようにタイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左下付近に移設されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンは新製時よりシャッター式となっている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が板で塞がれている。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時に埋められている。また側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目と6枚目の窓間下にサボ挿しが追設されている。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る