キハ28 349 → キハ28 2349



1964年4月24日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所に新製配置された。同一ロット349〜352のうち、当車のみ青森へ配置された。青森では奥羽本線及び東北北部の急行で活躍したが、1964年度には早くも運用移管等で新潟へ転出した。この移動で青森・郡山に分散配置されてた当ロットの仲間は全車新潟へ集結している。新潟では北陸本線の急行「越後」をはじめ急行「羽越」「いいで」等幹線急行で活躍したが、1968年9月19日には需給の関係で向日町へ転出した。向日町では京都発着の紀伊半島方面の急行「志摩」「しらはま」等で活躍し、1973年6月28日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2349へ改番されている。同1973年には宮原との間で冷房車に関する車両交換があり、当車は同年度中に宮原へ転出している。宮原では急行「ちくま」「越後」の付属編成のほか、急行「たかやま」「丹波」「みまさか」等で広く活躍した。「53-10改正」で中央本線及び北陸本線の気動車急行が廃止され、以降は急行「たかやま」「丹波」「みまさか」用となる。「60-3改正」では国鉄末期の基地統廃合により宮原機関区は廃止され向日町運転所へ統合され、1985年3月14日付で移動した。以降は急行「みまさか」「たかやま」「丹波」「志摩」等で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「みまさか」「たかやま」のみとなり、「みまさか」も1989年に廃止され主な用途は波動用となる。伊勢方面の修学旅行臨や、但馬地方へのカニ臨などで主に活躍したが、余剰のキハ181系がこれら波動輸送に転用されることになり、2003年6月12日付で廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式である。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。正面窓上の通風口・水切りともに残っている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はないが、クーラーのルーバーがメッシュタイプのものが多く取り付けられている。。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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