キハ28 351 → キハ28 2351



1964年4月24日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット349〜352のうち、351・352が郡山へ配置された。郡山では急行「ざおう」の他、「いいで」等で活躍したが、1964年度には早くも運用移管等で新潟へ転出した。この移動で青森・山形に分散配置されてた当ロットの仲間は全車新潟へ集結している。新潟では北陸本線の急行「越後」をはじめ急行「羽越」「いいで」等幹線急行で活躍し、中部地区では比較的早い1970年8月7日付で冷房化された。しかし1971年には急行「越後」の運用移管の関係もあり当車を含む冷房化された2350〜2352の3両は金沢へ転出することになり、当車は6月17日付で転属した。金沢では急行「ゆのくに」「越後」の増結車、急行「ちくま」の増結車のほか、急行「大社」の金沢編成等で広範囲に活躍し、幹線急行が多いことから冷房化も進んでいた。しかし「53-10改正」ではこれらの急行が軒並み廃止及び縮小され金沢運転所の急行運用は無くなり、当車は兄弟そろって1978年10月2日付で七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」や七尾線の普通列車で活躍するようになった。この状態は長く続きそのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車専属となり、1987年度に近郊化改造され、1988年度には「七尾普通色」へ塗装変更された。しかし1991年9月のダイヤ改正で七尾線が電化されると余剰となり、当車は同月中に氷見線・城端線用として高岡鉄道部へ転出した。高岡への転出に際し塗装が水色ベースにピンクのストライプの高岡色Tへ変更された。しかし高岡ではキサハ34に採用された塗装を全車に適用することになり、当車は1992年12月25日にワンマン化改造された際に塗装も高岡色Uへ変更された。その後は1995年以降に塗装の簡略化及び床下機器のグレー化を行い高岡色U-2へ移行した。引き続き氷見線及び城端線のワンマン運用で活躍し、1999年には福知山から状態の良いモデルチェンジ車が転入するも当車は引き続き活躍した。このモデルチェンジ車投入に合わせ高岡色もデザインが変更され、ワインレッドベースの高岡色Vへ移行した。しかし2004年に加古川線電化により同区及び姫路のキハ40系が高岡へ転入すると余剰となり、2005年3月31日付で廃車となった。 外観は、前述のリニューアルにより簡易運転台付き中間車然とした形態となっていた。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパはワンマン用回路が1本増え、タイフォン横に設けられている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区特有のスタイルである。タイフォンはシャッター式である。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。ワンマン化改造時にドア付近へスピーカーの取り付けが行われている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。また汚物処理装置が取り付けられているので、便所側面に点検蓋が設けられている。
屋根上は、通風器が断面5角形の箱型通風器に交換されているほか、前位寄りの通風器2個は撤去されている。またクーラーはルーバーがスリット状のものとメッシュ状のものが混在している。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。水タンクは2000年以降では珍しく原形の鋼製タンクのままである。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。後位側便所床下にカセット式の汚物処理装置が取り付けられている。金沢時代には北陸本線で活躍したため複線型スノープロウが取り付けられている。


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