キハ28 352 → キハ28 2352



1964年4月24日帝国車両製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット349〜352のうち、351・352が郡山へ配置された。郡山では急行「ざおう」の他、「いいで」等で活躍したが、1964年度には早くも運用移管等で新潟へ転出した。この移動で青森・山形に分散配置されてた当ロットの仲間は全車新潟へ集結している。新潟では北陸本線の急行「越後」をはじめ急行「羽越」「いいで」等幹線急行で活躍し、中部地区では比較的早い1970年9月4日付で冷房化された。しかし1971年には急行「越後」の運用移管の関係もあり当車を含む冷房化された2350〜2352の3両は金沢へ転出することになり、当車は6月18日付で転属した。金沢では急行「ゆのくに」「越後」の増結車、急行「ちくま」の増結車のほか、急行「大社」の金沢編成等で広範囲に活躍し、幹線急行が多いことから冷房化も進んでいた。しかし「53-10改正」ではこれらの急行が軒並み廃止及び縮小され金沢運転所の急行運用は無くなり、当車は兄弟そろって1978年10月2日付で七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」や七尾線の普通列車で活躍するようになった。この状態は長く続いたが、当車は1985年7月11日大雨による築堤崩壊箇所に突っ込むという脱線転覆事故に巻き込まれ、1985年10月1日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ一体型となっているが、位置が通常より若干低い。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区特有のスタイルである。タイフォンはシャッター式である。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。金沢時代には北陸本線で活躍したため複線型スノープロウが取り付けられている。


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