キハ28 353 → キハ28 2353



1964年5月26日富士重工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所に新製配置された。同一ロット353・354のうち、当車のみが青森へ配置された。青森では東北北部の急行で活躍した。東北では車輛増備や電化進展による転配が多く、1965年10月には運用移管で弘前へ転属し、その後は弘前への後期車の増備により1966年に小牛田へ転属した。1970年のダイヤ改正では運用減により余剰となり、当車は1971年6月10日付で美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」を始めとして名古屋を起点とする急行で活躍し、そして1972年6月9日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けでを行い2353へ改番されている。その後も長く美濃太田に在籍し、国鉄末期には急行「のりくら」の運用が移管されると高山本線の普通列車のみの運用となり、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き高山本線の普通列車で活躍したが、1989年3月にキハ11が投入されると武豊線の普通列車用に1989年3月9日付で名古屋へ転出した。1991年には武豊線運用の一部が伊勢に配置されていたキハ47・キハ48と交代することになり、1991年3月16日付で伊勢へ転出した。以降は紀勢本線・参宮線の運用で長く活躍した。当車はJR東海のキハ58系最末期まで活躍し、紀勢本線がキハ40系・キハ11に置き換えられた1999年3月で余剰となり、保留車として在籍したのち2001年9月14日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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