キハ28 355 → キハ28 2355



1964年5月29日富士重工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット355・356両者ともに郡山へ配置された。郡山では急行「ざおう」「いいで」等、東北南部の急行で活躍した。東北では車輛増備や電化進展による転配が多く、1965年10月には運用移管で弘前へ転属し、その後は弘前への後期車の増備により1966年に小牛田へ転属した。1968年の夏季には観光輸送用に北海道へ応援に出ることになり、1968年上期に釧路へ転属し、同年9月11日付で小牛田へ戻っている。1971年のダイヤ改正では運用減により余剰となり、当車は1972年3月8日付で美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」を始めとして名古屋を起点とする急行で活躍し、そして1973年11月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けでを行い2355へ改番されている。1976年10月には名古屋と美濃太田の間で車両交換があり、当車は1976年10月1日付で名古屋へ転属した。名古屋では引き続き急行「のりくら」や、急行「紀州」等で活躍した。国鉄末期には急行「のりくら」の減便や「紀州」の廃止が行われたが引き続き急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍したが、1990年3月にキハ85系が投入され「のりくら」が全廃された以降は武豊線の普通列車で活躍したが、伊勢に配置されていたキハ47・キハ48と交代することになり、1991年3月16日付で伊勢へ転出した。以降は紀勢本線・参宮線の運用で長く活躍した。当車はJR東海のキハ58系最末期まで活躍し、紀勢本線がキハ40系・キハ11に置き換えられた1999年3月で余剰となり、2001年1月15日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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