キハ28 356 → キハ28 2356



1964年5月29日富士重工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット355・356両者ともに郡山へ配置された。郡山では急行「ざおう」「いいで」等、東北南部の急行で活躍した。東北では車輛増備や電化進展による転配が多く、1967年10月には需給の関係で盛岡へ転属した。盛岡では急行「陸中」をはじめ、東北北部の幹線急行で活躍した。1972年4月13日には冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2356へ改番されているが、冷房化直後の1972年5月6日付で米子へ転属している。米子では山陰本線の急行「だいせん」や伯備線の「伯耆」等で使用された。1982年には伯備線電化により急行「伯耆」が廃止されたことから浜田へ転属し、引き続き急行「だいせん」の他「石見」で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」では山陰西部の急行の削減が行われ急行「石見」が廃止されると捻出され、当車は武豊線のキハ35置き換えのため1985年3月19日付で名古屋へ転属した。ここで1965年に離れ離れになった2355と20年ぶりに再会している。名古屋では急行「のりくら」と武豊線普通列車で使用され、そのままJR東海へ継承された。JR化後も変わらず急行「のりくら」の及び武豊線の普通列車でも活躍した。しかし1989年3月改正で美濃太田と伊勢へキハ11が投入されると状態の良いキハ58系により置き換えられ、1990年2月14日付で廃車となった。

前面は、米子・浜田時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。冷房電源用ジャンパ栓は初期改造車の低い位置のまま残されており、制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは新製時よりシャッター式である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面では、3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。2000番台であり後位側に4VK発電セットを取り付けている。


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