キハ28 361



1964年11月20日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で郡山機関区に新製配置された。同一ロット361・362のうち、当車のみ郡山へ配置された。郡山では東北本線南部の急行「ざおう」「いいで」「いなわしろ」等で活躍した。この状態は国鉄末期まで長く続き、「57-11改正」で急行が廃止されると、磐越西線・東線、只見線・、会津線の普通列車で使用されるようになり、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は会津線の第三セクター化により捻出され、1988年3月17日付で山形へ転属し、同区の若番車に代わり奥羽本線・左沢線・陸羽西線を中心に普通列車で活躍するようになった。当車は機関更新工事の対象となり、1990年9月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。1991年3月16日には山形新幹線工事の関係で配置区が新庄へ変更されたが引き続き奥羽本線・陸羽西線で活躍した。1990年代前半には塗装が「東北地域本社色」へ変更されている。しかしながら、701系電車投入により奥羽本線の架線下普通列車が削減されたこと、左沢線にキハ101が投入されキハ40系が捻出されたことから余剰となり、1996年8月26日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工である。ワイパーWP50へ更新されているが、正面窓下の手すりは原形のままであり、土崎工場で良く見られる形態となっている。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準の、テールライト外側付近へ移設されている。タイフォンカバーは、山形時代にシャッターを外されスリット式カバーとなっている。正面窓上の雨どい・通風口は原形のままである。
側面は、ほぼ原形のままである。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下では、機関がコマツ製DMF11HZへ換装されている。スノープロウは複線用を装備している。油タンク・水タンクとも原形のままである。


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