キハ28 366 → キハ28 2366



1964年11月30日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で長崎機関区に新製配置された。同一ロット365・366のうち、当車のみ長崎へ配置された。長崎では主に長崎本線の急行で使用開始したが、1965年度中には竹下へ移動し、引き続き長崎本線系統の急行で主に使用された。そしてキハ58系では比較的早期の1969年5月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2366へ改番された。その後も国鉄末期まで竹下で活躍し、「57-11改正」で長崎本線の急行が全廃された後は博多を中心とする普通列車で使用された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後直後の1987年度中に需給の関係で直方へ転出し、九州北部及び筑豊地区で活躍した。当車は普通列車用となり1989年8月9日付で近郊化改造が行われ同時に九州色へ変更された。1991年11月には筑豊地区へのキハ200形投入により転出することになり、1992年2月27日付で大分へ転出した。大分では豊肥本線・久大本線の普通列車で活躍するようになり、これに先立ち1992年2月26日付でワンマン化改造された。しかし大分での活躍は長くなく、1993年度に大分地区へキハ125形が投入されると捻出され、1994年3月度で鹿児島へ転出し、同地区のワンマン化率向上に役立つこととなった。転出後は同区の宮崎運用専属となり、日南線で使用された。その後2001年10月の筑豊本線・篠栗線電化に伴う車両転配で日南線はキハ40系とキハ31となり、当車は鹿児島運転所本所へ移動し、主に指宿枕崎線・肥薩線・吉都線で使用されるようになる。しかし2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを期に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年2月1日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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