キハ28 367 → キハ28 2367



1964年12月4日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で米子機関区に新製配置された。同一ロットは当車のみである。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用され、1970年3月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2367へ改番された。以降も長く米子に在籍したが、1982年11月に浜田の非冷房車と交換するため1982年11月17日付で浜田へ転出した。浜田では「だいせん」のほか「石見」で活躍したが、「60-3改正」で「石見」が廃止され、浜田機関区の気動車配置も廃止された際に捻出され、1985年3月19日付で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍したが、1990年3月にキハ85系が投入され「のりくら」が全廃された以降は武豊線の普通列車で活躍したが、伊勢に配置されていたキハ47・キハ48と交代することになり、1991年3月16日付で伊勢へ転出した。以降は紀勢本線・参宮線の運用で長く活躍した。当車はJR東海のキハ58系最末期まで活躍し、紀勢本線がキハ40系・キハ11に置き換えられた1999年3月で余剰となり、1999年12月6日付で廃車となった。

前面は、浜田時代に後藤工場で前面補強されている。運転席窓下の手すりは、運転席側がワイパーのWP50化により短くなっており、後藤工場の標準形態である。制御ジャンパ受栓位置やステップの位置は後藤工場標準ではなく、制御ジャンパ受栓は通常より若干左右に離れた位置にあり、さらにステップはタイフォンの横にある。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、内ばめ式のままである。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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