キハ28 368



1964年12月5日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で青森運転所に新製配置された。同一ロットは当車のみである。当車は青森へ新製配置されたものの間もなく盛岡へ転属している。盛岡では東北北部の急行で活躍したが、1966年には小牛田に転属し仙台を起点とする急行に使用された。1972年3月のダイヤ改正では運用変更で新潟へ転属し、以降は新潟周辺のローカル急行で活躍した。新潟では長く活躍したが、1980年10月改正で九州や西日本で余剰となった冷房車が新潟に転属し、新潟の非冷房車がキハ55系の置き換え用に九州へ転属する動きがあり、当車もこの動きの中で1981年2月20日付で長崎へ転属した。長崎ではキハ26に代わり長崎本線・大村線・松浦線の普通列車で活躍した。しかし1984年2月の「59-2改正」で長崎本線の普通列車の電車化が行われ、当車は1984年2月2日付で直方へ転属した。直方は従来配置されていたキハ28 800番代に代わり筑豊地区の普通列車で使用された。しかし筑豊地区の支線廃止により所要数が減少した影響もありJRへは継承されず、1986年10月3日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工である。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。放送用ジャンパ受栓は原形のままタイフォン横足掛けと一体型になっている。タイフォンカバーは、新潟時代は原形のシャッター式もしくは新潟タイプの円筒を斜めに切った形状であったと思われるが、九州転属後は九州タイプのスリットカバーになっている。尾灯は原形の内ばめ式のままである。全体的に原形に近い顔である。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下もほぼ原形のままである。


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