キハ28 369



1964年12月14日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で郡山機関区に新製配置された。同一ロット369〜372のうち、当車のみ郡山へ配置された。郡山では東北本線南部の急行「ざおう」「いいで」「いなわしろ」等で活躍した。この状態は国鉄末期まで長く続き、「57-11改正」で急行が廃止されると、磐越西線・東線、只見線・、会津線の普通列車で使用されるようになり、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も磐越西線・東線、只見線で活躍したが、磐越東線にキハ110系が投入され当車は捻出され、1991年3月24日付で新庄へ転属した。また当車は転属に先立ち機関更新工事の対象となり、1991年2月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。新庄では奥羽本線・陸羽西線で活躍した。1990年代前半には塗装が「東北地域本社色」へ変更されている。しかしながら、701系電車投入により奥羽本線の架線下普通列車が削減されたこと、左沢線にキハ101が投入されキハ40系が捻出されたことから余剰となり、1997年8月2日付で廃車となった。

前面は、前面補強が未施工である。ワイパーWP50へ更新されており、それに伴い正面窓下の手すりが下がっており、郡山工場・盛岡工場で良く見られる形態となっている。放送用ジャンパ受栓は、郡山工場・盛岡工場標準の、ステップ上部へ移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式となっている。正面窓上の雨どいは原形であるが、助手席側の通風口が撤去されている。貫通扉に小牛田時代の快速「南三陸」「いでゆ」用ヘッドマーク受けが残っている。
側面は、1990年頃に3位側の側窓が1枚のみユニット式窓へ変更されており、改造の詳細は不明であるが非常に特徴のある姿になっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下では、機関がコマツ製DMF11HZへ換装されている。スノープロウは複線用を装備している。油タンク・水タンクとも原形のままである。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る