キハ28 372 → キハ28 2372



1964年12月14日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で水戸機関区に新製配置された。同一ロット369〜372のうち、370〜372が水戸へ配置された。水戸では常磐線の急行「ときわ」「奥久慈」で主に使用された。同急行は1970年より冷房化されることになり、当車も1972年7月13日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2372へ改番された。その後も国鉄時代末期まで急行「ときわ」「奥久慈」の他、「いわき」「あがの」でも使用された。国鉄末期の「60-3改正」では常磐線の急行が全廃され水戸区の急行運用は無くなるが、主に水郡線の普通列車用として活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き水郡線で使用され、1989年頃には「水郡色」へ変更された。1990年3月には組織変更で常陸大子運転区配置となった。しかし1992年3月には水郡線にキハ110系が投入され当車は余剰となり、1992年3月10日付で小牛田へ転属した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」を始めとし、石巻線・陸羽東線の普通列車で使用された。小牛田転属後すぐに機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、塗装が「東北地域本社色」へ変更されている。その後急行「月山」の快速化により同列車のアコモ車が小牛田に転属して快速「南三陸」指定席車のアコモ改良を行うこととなり、小牛田と新庄の間でアコモ改造車と一般車の交換が行われ、当車は1993年12月1日付で新庄へ転属した。新庄では快速「月山」で活躍するようになった。しかし1999年3月のダイヤ改正で山形新幹線新庄延伸にともなう工事のため「月山」が運休となると用途を失い、1999年6月29日付で廃車となった。

前面は、水戸時代に大宮工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP35のままであり、前面窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型のままである。正面窓上の水切りは原形のままであるが、助手席側の通風口は撤去されている。タイフォンカバーは原形のシャッター付きである。テールライトは内ばめ式のままである。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。
側面は、乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。水タンクも原形の鋼製タンクのままである。また、小牛田転出後に複線型スノープロウを取り付けている。


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