キハ28 376



1964年9月30日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット376・377両車ともに盛岡へ配置された。盛岡では急行「陸中」等、東北北部の幹線急行で活躍した。東北では車輛増備や電化進展による転配が多く、1966年10月には運用移管で小牛田へ転属した。小牛田では急行「たざわ」「千秋」等、東北北部の幹線急行で活躍した。「72-3改正」に伴う車両転配では郡山へ転属し、急行「ざおう」「いいで」等で活躍するようになった。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」では東北地区の急行は大幅に削減されたが、当車は引き続き郡山に残り、キハ20系・55系に代わり磐越東線・磐越西線・只見線・会津線の普通列車で活躍した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き前記の路線で普通列車で活躍したが、1987年の第三セクター移管により余剰車が発生し当車は保留車となっていたが、当車は1989年11月度にコマツ製DMF11HZへの機関換装を受け1989年12月20日付で小牛田へ転属した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」を始め、陸羽東線・石巻線・気仙沼線の普通列車で活躍したが、1992年より各地からキハ58系冷房車が転入するとこれと入れ替わるように1992年2月26日付で新庄へ転属した。新庄では機関未換装車に代わり奥羽本線・左沢線・陸羽西線等の普通列車で活躍した。1992年以降には塗装が「東北地域本社色」へ変更されている。しかしながら、701系電車投入により奥羽本線の架線下普通列車が削減されたこと、左沢線にキハ101が投入されキハ40系が捻出されたことから余剰となり、1995年12月15日付で廃車となった。

前面は、郡山工場で前面補強が施工されている。ワイパーWP50へ更新されており、それに伴い正面窓下の手すりが下がっており、郡山工場・盛岡工場で良く見られる形態となっている。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式となっている。正面窓上の雨どいは原形であるが、助手席側の通風口が撤去されている。貫通扉に小牛田時代の快速「南三陸」「いでゆ」用ヘッドマーク受けが残っている。
側面は、ほぼ原形のままである。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下では、機関がコマツ製DMF11HZへ換装されている。スノープロウは複線用を装備している。油タンク・水タンクとも原形のままである。


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