キハ28 377 → キハ28 2377



1964年9月30日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット376・377両車ともに盛岡へ配置された。盛岡では急行「陸中」等、東北北部の幹線急行で活躍した。東北では車輛増備や電化進展による転配が多く、1966年10月には運用移管で弘前へ転属し、その後は弘前への後期車の増備により1968年3月25日に奈良へ転属した。奈良では急行「かすが」の運用で使用されたが、1973年10月に関西本線電化により奈良区の急行型気動車の配置が廃止された際に捻出され、当車は1973年10月1日付で美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」を始めとして名古屋を起点とする急行で活躍し、そして1974年12月25日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けでを行い2377へ改番されている。美濃太田では長く活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の運用がすべて名古屋へ移管されることになり、当車は1986年10月29日付で名古屋へ転出した。そしてそのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き急行「のりくら」や武豊線の普通列車で活躍したが、1990年3月にキハ85系が投入され「のりくら」が全廃された以降は武豊線の普通列車や快速「みえ」の増結等で活躍したが、キハ75系の増備により波動用としての用途も減少し、1997年3月14日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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