キハ28 379 → キハ28 2379



1964年12月3日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で水戸機関区に新製配置された。同一ロット378〜381全車が水戸へ配置された。水戸では当時当ロットを含む378〜384の7両が一挙に新製されており、急行「ときわ」を中心に常磐線の急行で活躍した。その後1972年10月14日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2379へ改番された。急行「ときわ」は東北方面の急行が大幅削減された「57-11改正」後も引き続き残存したが、「60-3改正」で特急格上げされ廃止された。急行廃止後は主に水郡線の普通列車用として活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き水郡線で使用されたが、1988年4月1日付で真岡線が第三セクターへ移管され、これに先立ち1988年3月改正で真岡線の水戸線直通列車が廃止されたことから捻出され、1988年3月23日付で秋田へ転属した。秋田では非冷房車に代わり急行「よねしろ」の他、秋田近郊の普通列車で活躍した。1990年12月には機関が新潟製DMF13HZへ換装されている。1992年3月より急行「よねしろ」がアコモ改造車の限定運用となると当車は普通列車専属となり、奥羽本線・男鹿線・田沢湖線で活躍した。1993年前後には塗装が「秋田色」へ変更された。1994年に秋田地区への701系投入により奥羽本線の架線下気動車列車は軒並み電車化されて余剰となり保留車となったが、1995年1月の阪神大震災による車両不足を補うため福知山へ応援で貸し出され、急行「丹後」「但馬」の他、播但線・加古川線の臨時快速等で使用され異彩を放った。しかし貸出終了後は秋田へ戻り、1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、JR化後の土崎工場で前面補強されている。ワイパーは原形のWP35のままで、前面窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区特有の、テールライト左上付近に移設されている。正面窓上の水切り、通風口は原形のままである。タイフォンカバーは原形のシャッター付きである。テールライトは外ばめ式に変更されている。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。
側面は、乗降ドア下部の丸窓が現存している。また、機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。側面中央部にサボ挿しが追設されているが、車番表記の位置と窓半分ずれており、前位側から5枚目の窓下に設置されている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。水タンクも原形の鋼製タンクのままである。後位側に4VK冷房発電ユニットが設置されている。


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