キハ28 380 → キハ28 2380



1964年12月3日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で水戸機関区に新製配置された。同一ロット378〜381全車が水戸へ配置された。水戸では当時当ロットを含む378〜384の7両が一挙に新製されており、急行「ときわ」を中心に常磐線の急行で活躍した。その後1972年4月20日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2380へ改番された。急行「ときわ」は東北方面の急行が大幅削減された「57-11改正」後も引き続き残存したが、「60-3改正」で特急格上げされ廃止された。急行廃止後は主に水郡線の普通列車用として活躍し、「61-11改正」では真岡線のキハ25置き換えのため真岡区へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も真岡線及び水戸線直通普通列車で使用されたが、1988年4月に真岡線は第三セクター移管が決まっており、それを控えた1988年3月改正で水戸線直通列車が廃止され余剰となり、3月16日付で山形へ転出した。山形では冷房化率向上に貢献し、急行「月山」で優先的に使用された。1991年以降急行「月山」のアコモ改造を行うことになり当車がその対象となり、1991年9月9日付で機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工された。急行「月山」は同じアコモ改造車のキハ58形と組んで使用されていたが、快速格下げとともに指定席車のみがアコモ車という編成に改められ、すべでのアコモ改造キハ28は快速「南三陸」の指定席設定のため移動することになり、1993年12月1日付で小牛田へ転出した。小牛田では他のキハ58系と組み快速「南三陸」専属で使用された。その後は長く同快速で使用されたが、2007年より水郡線がキハE130系化された際に捻出されたキハ110系が小牛田へ転入し快速「南三陸」も置き換えられ、2009年1月14日をもって廃車となった。

前面は、水戸時代に前面補強されている。ワイパーはWP35のままであり、前面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部へ寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、後期車標準のステップ一体型である。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されている。タイフォンは新製時のシャッター式のまま。正面窓上の水切りは残存しているが通風口は左右とも撤去されている。なお当車は冷房電源用KE8ジャンパ栓納めが車体色と同じアイボリーで塗装された変形車であった。
側面は、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体側面にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋が追設されており、蓋がボルトで止められている。アコモ改造時に、行先方向幕が左から2つ目の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ更新されている。油タンクは角型のものに更新されている。更新時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体は原形の鋼製のものである。当車は機関換装時に、機関予熱器が後期ロットと同じものに交換されている。また、当車は後年の郡山工場担当車両標準で、床下機器がグレーで塗装されている。


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