キハ28 387 → キハ28 2387



1965年1月22日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で盛岡機関区に新製配置された。同一ロット386〜389のうち387・388が盛岡へ配置された。盛岡では東北本線北部の幹線急行で使用されたが、1966年度には需給の関係で弘前へ転属し、五能線へ直通する急行「深浦」や奥羽本線の急行で使用された。1968年3月には弘前に500番台が新製配置され、当車は玉突きで1968年3月25日付で奈良へ転出した。奈良では、奈良線・和歌山線経由の急行「しらはま」等で使用された。関西本線全線電化の1973年には奈良区の急行型配置は和歌山へ集約されることになり、1973年10月1日付で和歌山へ転出した。以降急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行列車で活躍した。キハ58系では比較的末期の1978年7月31日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2387へ改番された。引き続き和歌山配置で「きのくに」を中心に活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後九州で活用することになり、1985年4月19日付で志布志へ転出した。志布志には老朽化したキハ25やキハ26が多く残っており、これらの置き換えのためであった。志布志では日南線・志布志線・大隅線で活躍した。そしてJR化直前に志布志・大隅線が廃止されることが決まっていたため当車は「61-11改正」で都城へ転出し、宮崎地区や吉都線方面で使用されるようになり、そのままJR九州へ継承された。JR化後は前記志布志・大隅線廃線により所要数が減ったことから1987年度中に竹下気動車区へ転出し、博多近郊の普通列車で使用されるようになった。1989年3月11日に直方気動車区へ移動し、前後して塗装が「九州急行色」へ変更され主に波動用として使用されるようになった。その後は直方気動車区が筑豊篠栗鉄道事業部と名前を変えるが引き続き波動用塗装で波動輸送の他、一般車に混じって普通列車でも使用された。また当車は当面使用する車両として2001年7月10日付で汚物処理装置が取り付けられた。その後は波動用車が唯一の九州急行色となっていたが、他車と区別する必要もなくなったことから2000年前後に九州色へ変更された。その後も引き続き筑豊篠栗鉄道事業部配置で主に波動用で使用されたが、老朽化のため2007年6月28日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。しかし当車はワイパー部に強化型WP50用の切り欠きはない。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、小倉工場標準の、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは九州転属後に、九州特有の形状のスリット式カバーに改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。
側面は、ほぼ原形である。後位側便所側面には汚物処理装置の点検蓋が設けられている。冷房化の際に3位側側面に吸気口が設けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準である。
床下は、後位側に汚物処理装置を取り付けている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


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