キハ28 389 → キハ28 2389 → キロ29 501 → キハ29 501



1965年1月22日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で青森運転所に新製配置された。同一ロット386〜389のうち、当車のみ青森へ配置された。青森では奥羽本線の幹線急行で使用された。1972年には青森運転所の運用の一部が盛岡へ移管され、当車も盛岡機関区へ転出した。その後秋田担当の急行「しらゆき」が一部冷房化される際に当車はその種車に抜擢され1974年3月25日付で秋田へ転出し、その後5月14日付で冷房化及び4VK電源セット取り付けを行い、2389へ改番されている。その後は国鉄末期まで急行「しらゆき」で活躍したが、「57‐11改正」で急行「しらゆき」が廃止された後も引き続き秋田に留まり、残った急行「むつ」等で使用された。しかし「59‐2改正」伴う急行の縮小により余剰が確定していたことから秋田局のお座敷気動車の種車となり、1984年2月23日付で「キロ29 501」へ改造された。これは北海道の「キロ29 1〜3」に続き本州では初のお座敷気動車であった。改造後は山形へ配置され東北地区でお座敷気動車として活躍した。当初はクリーム地にブラウンの帯を窓周りに配していたが、お座敷に改造後1986年3月3日には秋田へ転属、その後塗装がブラウンをベースにクリームと金の帯に変更された。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後は1991年1月には機関を新潟鉄工製DMF13HZへ換装し、その際に塗装も上半分をピンク、下半分をグレー、間に白帯を配した新塗装へ変更、「こまち」の愛称も付いた。2000年にはお座敷車の普通車格下げが各所で実施され当車は元番復帰ではなく、キハ29とされ、番号は同じく501となった。キハ29 501はJR西日本の「ビバ・ウエスト」と重複番号であるが、ビバウエストは1999年3月31日に廃車となっており、同時に存在したことはない。普通車格下げ後の2001年1月25日には大幅な更新工事が実施され、外観を大きく変えた。当車は中間車として必要最低限な機器のみ残すこととし大幅な改造をされ、この際に愛称が「おばこ」へ変更された。このように大幅なリニューアルを受けるも、5年後の2006年3月31日付で廃車となった。 外観は、前述のリニューアルにより簡易運転台付き中間車然とした形態となっていた。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されており、形状は国鉄時代の秋田・盛岡地区標準的なもので、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは原形のWP35のままである。キロ59の後位側が広幅貫通扉となった関係で当車の前面も広幅の幌アダプターが設けられ、正面窓が狭められている。貫通扉自体は元の狭幅のままで、愛称表示器も残っている。貫通扉上部の種別表示幕は埋められ、独特の表情となっている。手すり類は全て撤去されている。正面窓下部には、タイフォンと標識灯掛け、KE53ジャンパ受栓、放送用ジャンパ受栓しか残っていない。
屋根上は通風器がすべて撤去されているが、通風器の台座は残っている。なお後位側のクーラーが1基撤去されている。
側面は、前位側の乗降扉、戸袋窓、後位側の窓1枚が埋められている。「おばこ」化された際に、側面窓が全て固定式に変更されている。また汚物処理タンクが設置されていた関係で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。300番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。また4VK冷房発電セットの吸気口も埋められ存在しない。
床下では、機関は、新潟鉄工製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。お座敷車に改造された際に便所が撤去され、床下の汚物処理装置も撤去されている。運転席下部に、初期車のごとくサービス電源用のサイリスタインバータ箱が設けられている。スノープロウは複線用を取り付けている。
妻面は、リニューアル改造時に広幅貫通路化され、それに伴い窓が閉塞され、配電盤の張出しも変更されている。

キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る