キハ28 390



1965年1月22日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で青森運転所に新製配置された。同一ロットは当車のみである。青森では急行「しらゆき」等で活躍したが、青森運転所への特急型車輛増備に伴い同所の急行型気動車は盛岡及び秋田へ移管されることになり、1973年3月で盛岡へ転属した。盛岡では急行「陸中」等で活躍したが、国鉄末期の「57-11改正」で急行が大幅に削減された際に捻出され、1982年11月23日付で一ノ関へ転属し、キハ55系に代わり大船渡線・北上線の普通列車で活躍するようになった。「59-2改正」では盛線の第三セクター移管等で余剰車が発生し、当車は波動用車両として活用されることとなり、1984年7月18日付で転換クロスシートに改造の上「うみねこ・むろね」用新塗装へ変更された。改造後は主に団体用・臨時列車用として使用されたが、当グループの配置が盛岡へ移管され強出力のキハ58と交代することになり、キハ58 416と入れ替わりで1985年度には原形に復旧された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き一ノ関配置で大船渡線・北上線の普通列車で活躍した。そして1987年度には「盛岡色」へ変更されている。1989年9月にはJR東日本の機関更新第1期で機関が新潟製DMF13HZへ換装された。1989年10月には一ノ関で運用数の減少があり当区のキハ28は一部が八戸へ転属し、当車も1989年10月19日付で八戸へ転属している。八戸で老朽化したキハ22に代わり八戸線や大湊線の普通列車で活躍するようになった。1992年にはキハ110系投入に伴う車両転配で八戸区はキハ40系で統一されることになり、当車は機関換装済みであることから1992年3月25日付で盛岡へ転属した。盛岡では1エンジン車であることから平坦な東北本線の普通列車で使用されたが、1994年より東北本線盛岡周辺に701系が投入されると気動車列車も一部電車化され当車は余剰となり、1995年9月28日付で廃車となった。

前面は、盛岡時代に盛岡工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。放送用ジャンパ線受は、新製時のままステップ一体型となっている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンは新製時よりシャッター式となっている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が板で塞がれている。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時には現存していたものの後に埋められている。また側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目と6枚目の窓間下にサボ挿しが追設されている。当車は八戸仕様で車番表記が赤色となっている。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは複線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。


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