キハ28 392 → キハ28 2392



1965年2月18日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で水戸機関区に新製配置された。同一ロット391〜393全車が水戸へ配置された。水戸では、急行「ときわ」を中心に常磐線の急行で活躍し1970年6月30日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2392へ改番された。急行「ときわ」は東北方面の急行が大幅削減された「57-11改正」後も引き続き残存したが、「60-3改正」で特急格上げされ廃止された。急行廃止後は主に水郡線の普通列車用として活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き水郡線で使用され、水郡色へ変更され活躍した。1991年1月度には機関がコマツ製DMF11HZへ換装されている。1992年3月には水郡線のキハ110系化が行われ、当車は快速「南三陸」の冷房化率向上のため1992年3月14日付で小牛田へ転属した。その後は快速「南三陸」「いでゆ」を始めとし、石巻線・陸羽東線の普通列車で使用された。小牛田転属後すぐに塗装が「東北地域本社色」へ変更されている。その後も長く快速「南三陸」で使用されたが、2007年より水郡線がキハE130系化された際に捻出されたキハ110系が小牛田へ転入し快速「南三陸」も置き換えられ、2007年6月5日をもって廃車となった。

前面は、前面補強が水戸時代に施工されている。助手席側の通風口のみ撤去されている。正面窓は熱線入りガラスとなりデフロスタは撤去されている。ワイパーはWP50に更新されているが、前面窓下の手すりは原形のままである。タイフォンカバーは原形のシャッター付きである。テールライトは内ばめ式のままである。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されており、冷房用電源ジャンパ受栓も初期冷房車のまま、低い位置に設置されている。これは水戸・新潟でよく見られた形態であった。放送ジャンパ受栓は、後期車同様、ステップと一体化されたものとなっている。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原形を保っている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されている。油タンクは角型のものに交換されている。水タンクは原形の鋼製のままである。後位側には小牛田時代に新型の循環式汚物処理装置が取り付けられている。また、小牛田転出後に複線型スノープロウを取り付けている。


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