キハ28 394 → キハ28 2394



1965年4月1日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット394〜397のうち、394・395が米子へ配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめ、「白兎」「伯耆」「さんべ」等山陰本線の急行で活躍した。1970年5月15日には冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2394へ改番された。引き続き山陰本線の急行で国鉄末期まで長く活躍したが、「60-3改正」で急行「さんべ」が縮小された際に余剰となり、1985年3月21日付で福知山へ転出した。福知山では急行「丹後」「丹波」で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」は廃止されたが、引き続き急行「丹後」用として残り、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も用途は変わらず、急行「丹後」で活躍したが、1992年3月のダイヤ改正で捻出され、状態も良いことから小郡へ転出した。小郡では普通列車用とされ、後に黄色ベースの「広島普通色」へ塗装変更された。小郡では客車列車に代わり、山陰本線西部や山口線の普通列車で使用された。また1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。その後は1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2003年11月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーはシャッター式のままである。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りとも原形のままである。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理装置が取り付けられた際に、便所側面に点検蓋が設置されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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