キハ28 395 → キハ28 2395



1965年4月1日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット394〜397のうち、394・395が米子へ配置されている。米子では急行「だいせん」をはじめ、「白兎」「伯耆」「さんべ」等山陰本線の急行で活躍した。1972年7月14日には冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2395へ改番された。1974年度末には車両交換で鳥取へ転出している。鳥取では引き続き山陰本線の急行で国鉄末期まで長く活躍したが、「60-3改正」で急行「だいせん」等が縮小された際に余剰となり、1985年3月22日付で福知山へ転出した。福知山では急行「丹後」「丹波」で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」は廃止されたが、引き続き急行「丹後」用として残り、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も用途は変わらず、急行「丹後」で長く活躍したが、最期は1996年3月のダイヤ改正で山陰本線福知山までの電化が完成すると急行「丹後」は全廃され、1997年7月8日付で廃車となった。廃車後はタイへ譲渡された。

前面は、米子時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーはシャッター式のままである。テールライトは左右ともに外ばめ式に改造されている。正面窓上の水切り・通風口ともに撤去されている。
側面は前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はないが、一部のクーラーが、メッシュタイプのルーバーのものになっている。
床下は、4VK冷房発電ユニットが設置されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る