キハ28 396 → キハ28 2396



1965年4月1日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で大分機関区に新製配置された。同一ロット394〜397のうち、396・397が大分へ配置されている。大分では久大本線・豊肥本線系統の横断線の急行で使用開始した。キハ58系では比較的早期の1969年3月度で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2396へ改番された。その後も国鉄末期まで大分配置で急行「由布」「火の山」をメインに使用されたが、「60-3改正」以降は指定席車へキロ改造のキハ28 5200番台が投入されたり急行列車の減車が進んだこともありキハ28は余剰気味となり、当車は1986年3月9日付で志布志へ転属した。志布志には当時数少なくなっていたキハ26や初期型のキハ20が大量に残っており、これらを淘汰するための転属であった。しかしながらJR化直前に志布志・大隅線が廃止されることが決まっていたため当車は「61-11改正」で都城へ転出し、急行「えびの」や宮崎地区や吉都線方面で使用されるようになり、そのままJR九州へ継承された。JR化後は前記志布志・大隅線廃線により所要数が減ったことから1987年度中に竹下気動車区へ転出し、博多近郊の普通列車で使用されるようになった。1989年以降は当車は急行の増結用及び波動用として使用されることになり、塗装が九州急行色へ変更された。1991年3月には竹下気動車区が廃止され直方に統合されたため当車も直方へ転属した。1992年7月15日のダイヤ改正ではキハ185系の投入により急行「由布」「火の山」が廃止され、当車も増結用としての用途を失ったことから、同改正日付で長崎へ転属した。長崎では快速「シーサイドライナー」用種車からは漏れ、塗装も九州色へ変更されて他の一般車と同じく長崎本線・大村線の普通列車で活躍することとなった。この状態は長く続いたが、2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われキハ200及びキハ66・67が転入した際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部に寄り添う位置へ配置されている。放送用ジャンパ受栓は、小倉工場で多く見られる、タイフォン上部へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。竹下時代に急行の増結用として使用される可能性があったため、貫通扉に急行「くまがわ」用のヘッドマークステイが取りつけられている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋は原形のものは埋められ、形状が変わっている。300番台以降の乗降扉下部隅の丸窓は、撤去されており存在しない。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項であるが、当車は助手席側のみのタイプである。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。


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