キハ28 400



1965年5月27日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で苗穂機関区に新製配置された。同一ロット398〜401のうち当車のみが苗穂へ配置された。苗穂へは夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の1965年9月22日付で盛岡へ正式配置されている。盛岡では急行「陸中」等で長く活躍し、地域内転配の多かった東北地区では珍しく転属なく盛岡で活躍した。国鉄末期の「57-11改正」で急行が大幅に削減された際に余剰となり、1982年11月23日付で一ノ関へ転属し、キハ55系に代わり大船渡線・北上線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き一ノ関配置で大船渡線・北上線の普通列車で活躍した。そして1987年度には「盛岡色」へ変更されている。1989年9月にはJR東日本の機関更新第1期で機関が新潟製DMF13HZへ換装された。1989年10月には一ノ関で運用数の減少があり当区のキハ28は一部が八戸へ転属し、当車も1989年10月25日付で八戸へ転属している。八戸で老朽化したキハ22に代わり八戸線や大湊線の普通列車で活躍するようになった。1992年にはキハ110系投入に伴う車両転配で八戸区はキハ40系で統一されることになり、当車は機関換装済みであることから1992年3月25日付で盛岡へ転属した。盛岡では1エンジン車であることから平坦な東北本線の普通列車で使用されたが、1994年より東北本線盛岡周辺に701系が投入されると気動車列車も一部電車化され当車は余剰となり、1995年9月28日付で廃車となった。

前面は、盛岡時代に盛岡工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。放送用ジャンパ線受は、新製時のままステップ一体型となっている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンは新製時よりシャッター式となっている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が板で塞がれている。車体中央部付近にあった機関冷却水口は、初期の機関換装車であり換装当初は現存していたが、後に撤去されている。また側面車番表記はキハ28原形より窓半分前にずれており、追設されたサボ挿しも他のキハ28と異なりキハ58と同じく前位側から5枚目の側窓下に設置されている。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。


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