キハ28 401 → キハ28 2401



JRのキハ28で最後の在籍車両となった車。

1965年5月27日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で弘前機関区に新製配置された。同一ロット398〜401のうち当車のみが弘前へ配置された。弘前では五能線へ直通する急行「深浦」や奥羽本線の急行で使用開始した。1968年3月には弘前に500番台が新製配置され、当車は玉突きで1968年3月25日付で奈良へ転出した。奈良では、奈良線・和歌山線経由の急行「しらはま」等で使用された。関西本線全線電化の1973年には奈良区の急行型配置は和歌山へ集約されることになり、1973年10月1日付で和歌山へ転出した。以降急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行列車で活躍した。キハ58系では比較的末期の1978年3月21日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2401へ改番された。引き続き和歌山配置で「きのくに」を中心に活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後九州で活用することになり、1985年4月19日付で直方へ転出した。当時は直方には800番台を中心に非冷房車が集まっていたので、冷房化アップに貢献することになった。直方では筑豊地区各線の普通列車で使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」での需給の関係で1986年11月1日付で竹下へ転属した。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は香椎線・篠栗線など博多近郊の普通列車で使用された。1988年7月1日付で車両交換で大分へ転出するが、1989年度中に直方へ移動している。直方転入後当車は波動用で使用されることになり、塗装が九州急行色へと変更された。その後は直方気動車区が筑豊篠栗鉄道事業部と名前を変えるが引き続き波動用塗装で波動輸送の他、一般車に混じって普通列車でも使用された。また当車は当面使用する車両として2001年6月4日付で汚物処理装置が取り付けられた。九州でキハ58系の大量廃車が行われた2002年に先立ち、長崎では検査期限車両の補充のため一旦当車は2001年3月3日付で長崎へ転出する。そして筑豊本線・篠栗線電化によりキハ66系・キハ200系が長崎へ転入した後は、当車は普通列車・波動用として2002年3月23日付で熊本へ転出した。また前後して塗装が一般的な九州色へ変更されている。その後2005年にはSLあそBOYが運転終了し、これに代わる観光列車として当車に白羽の矢が当たり、2006年7月20日付で観光列車「あそ1962」へと改造された。改造後は同列車の他団体列車等でも使用されたが、2011年にキハ183系を改造した「あそぼーい!」が登場すると当列車は運行終了することとなった。「あそ1962」としての活躍は2010年12月26日に終了し、以降は保留車として臨時列車等で使用されたが、2013年以降は全く使用されず熊本車両センターで放置状態が続いた。車体は錆つき荒れ放題となっていたが、2018年3月末には小倉工場へ回送され、最後は2019年1月16日付で廃車となった。

当車は和歌山時代の面影を色濃く残している。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままで、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の、タイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは九州転属後に、九州特有の形状のスリット式カバーに改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。
側面は、ほぼ原形である。後位側便所側面には汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準である。
床下は、後位側に汚物処理装置を取り付けている。油タンクは角型のものに交換されている。水タンクはFRP製のものに交換されている。また当車は床下機器が黒で塗装されている。


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