キハ28 404



1965年6月4日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット402〜405のうち403・404が千葉へ配置された。千葉へは房総地区夏季輸送用の仮配置で、夏季輸送終了後の1965年9月24日付で秋田へ正式配置されている。秋田では急行「しらゆき」「おが」をはじめ、支線区の急行で長く活躍した。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行が大幅に削減された後も引き続き秋田に留まり、非冷房であることから主に秋田周辺の普通列車で運用された。国鉄末期の「61-3改正」では他系列を含めた大幅な車両交換が行われ、当車は1986年3月3日付で弘前へ転属した。弘前では五能線で主に使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き弘前で使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入による車両転配で五能線はキハ40系化が進められることになり、当車は1990年3月24日付で再び秋田へ戻った。秋田では主に奥羽本線・男鹿線・田沢湖線の普通列車で活躍し、1991年4月には機関が新潟製DMF13HZへ換装され、1993年頃には塗装が「秋田色」へ変更された。しかし1993年より秋田地区に701系電車が投入されると50系客車列車のみならず架線下気動車列車も電車化されて当車は余剰となり、1994年12月1日付で廃車となった。当車は非冷房キハ28では唯一の秋田色であった。

前面は、秋田時代に土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に改造されているが、正面窓下の手すり位置は原形のままで、秋田地区標準の形態である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイルである。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンは新製時よりシャッター式となっている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が板で塞がれている。車体前位側付近にあった機関冷却水口は、機関換装時に埋められている。また側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目の窓下にサボ挿しが追設されている。また当車の車番表記は原形のキハ28とは窓半分ずれており、サボ挿しと同様前位側から5枚目の窓下にある。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下では、エンジンが新潟製DMF13HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンク・水タンクともに原形である。


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