キハ28 406 → キハ28 2406



1965年4月12日帝国車両製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット406〜409全車が米子へ配置されている。当ロットは一旦米子へ配置されているものの、落成後すぐに北海道の夏季輸送に使用されることになり、当車は1965年5月24日付で函館へ転出し、夏季輸送後の9月24日に米子へ戻っている。米子では急行「だいせん」をはじめ、「白兎」「伯耆」「さんべ」等山陰本線の急行で活躍した。1971年度には需給の関係で鳥取へ転出したが、1975年度には米子へ戻っている。当車は長らく非冷房のままで残り、「51-3改正」時に米子の運用の一部が岡山へ移管された際に非冷房車が岡山へ転出することになり、当車はキハ28 342と共に1976年3月1日付で移動した。転属後は1977年12月24日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2406へ改番されている。岡山では急行「伯耆」「砂丘」「みささ」で活躍した。国鉄末期には急行の削減が行われたが、当車は残った急行「砂丘」で引き続き活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年3月改正で岡山の急行「砂丘」運用が鳥取へ移管され、以降は岡山周辺のローカル輸送及び波動用として使用された。予備車的な存在で活躍の場は少なかったが、長く生き永らえた。1998年には使用頻度が低く状態が良かったことが幸いしたのか、後藤の老朽車を置き換えるために活用されることになり、1998年7月11日付で後藤へ転出した。以降は山陰本線の快速・普通列車で活躍するようになった。また2001年2月14日付で汚物処理装置の取り付けも行った。しかし後藤配置車は2001年7月7日のダイヤ改正でキハ126系に置き換えられ、当車は2003年4月21日付で廃車となった。

前面は、前面補強は岡山時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは原形のシャッター式のままである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、岡山ではよく見られた形態である。正面窓上の通風口・水切りは撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは山陰地区の標準。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。汚物処理装置が取り付けられた際に、便所側面に点検蓋が設置されている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。末期の米子地区では希少な存在であった。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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