キハ28 407 → キハ28 2407



1965年4月12日帝国車両製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット406〜409全車が米子へ配置されている。当ロットは一旦米子へ配置されているものの、落成後すぐに北海道の夏季輸送に使用されることになり、当車は1965年5月25日付で函館へ転出し、夏季輸送後の9月24日に米子へ戻っている。米子では急行「だいせん」をはじめ、「白兎」「伯耆」「さんべ」等山陰本線の急行で活躍し、1974年8月8日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2407へ改番された。以降も長く米子に在籍したが、「60-3改正」で山陰西部の急行が大幅に縮小され急行「さんべ」が小郡担当になったことから余剰となり、1985年3月17日付で鳥取へ転出した。鳥取では急行「白兎」「砂丘」「但馬」等で活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により急行「白兎」が廃止されると余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月6日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は引き続き紀勢本線・参宮線・名松線の各線で活躍した。JR東海では1989年3月に早くも新型気動車の投入が行われ、キハ11の大量投入により当時伊勢に配置されていた車両の大半は置き換えられたが、当車は引き続き紀勢本線・参宮線の運用で長く活躍した。当車はJR東海のキハ58系最末期まで活躍し、紀勢本線がキハ40系・キハ11に置き換えられた1999年3月で余剰となり、2000年1月4日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場で前面補強されている。運転席窓下の手すりは、運転席側がワイパーのWP50化により短くなっており、後藤工場の標準形態である。制御ジャンパ受栓位置やステップの位置も後藤工場標準である。放送ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。テールライトは、内ばめ式のままである。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。しかし晩年は腐食が激しく筒の上部が失われていた。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。1990年以降のJR東海標準で、床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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