キハ28 411 → キハ28 2411



1965年5月21日帝国車両製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット410〜414全車が千葉へ配置されている。千葉へは夏季海水浴輸送のための仮配置で、夏季輸送が終了した後8月26日付で兄弟の410〜412と共に浜田機関区へ正式配置された。浜田では急行「だいせん」「石見」を中心として山陰本線の急行で使用された。1972年6月30日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2411へ改番された。引き続き浜田配置で山陰本線西部で長く活躍したが、「60-3改正」で山陰本線西部の急行が大幅に整理され、浜田機関区の車両配置も廃止されることになり、当車は1985年3月14日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」の他山陰本線の快速・普通列車で活躍したが、「61-3改正」で急行の減車等が行われ捻出され、当車は1986年3月6日付で敦賀へ転出した。敦賀ではそれまで配置されていた非冷房キハ28に代わり、急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車専用車となり、1987年度に近郊化改造された。1990年1月18日付で水色ベースの「小浜色」へ変更され、1991年3月より普通列車用車両は新設された小浜鉄道部の所属となった。しかし1991年7月の七尾線電化による車両の大幅な転配の際に当車は氷見線用車両となり、1991年9月に高岡へ転属した。高岡では非ワンマンでキサハ34を挟む運用に使用されることになり、1992年2月25日付で「高岡色U-1」へ変更された。その後は1996年3月に高山本線からワンマンキハ58系が転入するとキサハ34は運用上の不便が多く廃車されたが、当車は非ワンマン車ながら引き続き残留し、朝夕の非ワンマン運用で使用された。2000年8月10日にはカセット式汚物処理装置の取り付けまで行われたが、相方の非ワンマンのキハ58は2000年には早々に廃車になっており、当車は2003年に小浜線よりワンマンキハ28が転入した際に捻出され、2003年5月30日付で廃車となった。

前面は、浜田時代に後藤工場標準形態の前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパは、原形のままステップ一体型である。タイフォンカバーは新製時よりシャッター付きである。テールライトは内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形であるが、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。汚物処理装置が取り付けられた際に、便所側面に点検蓋が設置されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。後位側に4VK冷房発電ユニットが設置されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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