キハ28 414 → キハ28 2414



1965年5月21日帝国車両製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット410〜414全車が千葉へ配置されている。千葉へは夏季海水浴輸送のための仮配置で、夏季輸送が終了した後9月6日付で兄弟の413と共に和歌山機関区へ正式配置された。和歌山では急行「きのくに」を中心として紀勢本線の急行で使用された。1973年8月30日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2414へ改番された。引き続き和歌山配置で急行「きのくに」で長く活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後九州で活用することになり、1985年4月19日付で人吉へ転出した。人吉には若番のキハ28が配置されていたのでこれと交代し急行「くまがわ」で活躍した。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後すぐの1987年度には組織改正で人吉運転区は熊本運転所に統合され、当車も熊本配置となった。以降は肥薩線のみならず豊肥本線・三角線の普通列車でも活躍を始めた。人吉区が熊本に統合されて以降は急行運用はキハ58+キハ65で組成されることが多くなりまた減車も進んだことからキハ28は他区へ転出することになり当車は1990年2月8日付で竹下へ転出した。また転出前には普通列車での使用を前提に九州色への変更も行われていた。竹下では博多近郊の普通列車で主に使用されるようになった。1991年3月のダイヤ改正では竹下気動車区が廃止され直方へ統合され、当車も1991年3月16日付で直方へ転属した。直方では筑豊地区の普通列車で使用されたが、キハ200系の投入後は主に日田彦山線で使用された。その後は1999年10月のダイヤ改正で豊肥本線が肥後大津まで電化され、捻出されたキハ147で日田彦山線が置き換えられたことから当車は余剰となるが、当車は原形シート車であり引き続き波動用等で使用された。最期は2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に用途を失い、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下手すりも原形の位置のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の雨どい・通風口は原形のまま残っている。当車は人吉・熊本時代に急行「えびの」「くまがわ」用のヘッドマークステイを貫通扉に取り付けている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋は、新製時のものを取り付けている。300番台以降の乗降扉下部隅の丸窓は、撤去されており存在しない。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項である。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。


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