キハ28 417 → キハ28 2417



1965年10月12日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で一ノ関機関区に新製配置された。同一ロット416〜420のうち、416・417が一ノ関へ配置されている。一ノ関へは大船渡線方面の急行のための新製配置であった。しかし同区の運用は程なく小牛田や盛岡へ吸収され、当車は1966年度中に弘前へ転出した。弘前では五能線へ直通する急行「深浦」や奥羽本線の急行で使用されたが、1968年3月には弘前に500番台が新製配置され、当車は玉突きで1968年4月5日付で奈良へ転出した。奈良では、奈良線・和歌山線経由の急行「しらはま」等で使用された。関西本線全線電化の1973年には奈良区の急行型配置は和歌山へ集約されることになり、1973年10月1日付で和歌山へ転出した。以降急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行列車で活躍した。和歌山転出後1975年7月11日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2413へ改番された。引き続き和歌山配置で「きのくに」を中心に活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後四国で活用することになり、1985年5月14日付で徳島へ転出した。徳島には若番車が多く集まっており、これらの置き換えに使用された。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」を中心に、急行「よしの川」で国鉄末期まで使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、徳島へも余剰のキハ65が転入してきたことから1988年4月30日付けで高知へ転出し普通列車で使用されるようになった。そして1988年8月23日付で四国色へ変更され、1990年7月4日付で近郊化改造された。その後も高知では土讃本線の普通列車でJR四国のキハ58系末期まで使用された。そして2006年以降キハ58系置き換えのため1500形が投入されると1000形が高知へ転入しはじめ、玉突きで当車は余剰となり2006年9月30日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に更新されているが、正面窓下手すりは原形の位置のままで、四国転入後のワイパー更新である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、和歌山時代にスリット状カバーへ改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の水切りは撤去されており、晩年の高知地区標準形態である。
側面は、近郊化改造が施工されているので、便所・洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が残っているが、一部の通風器のみ断面5角形の箱型ベンチレーターへ交換されている。
床下では、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。そして水タンクは、原形の鋼製タンクのままである。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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