キハ28 418 → キハ28 2418



1965年10月12日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で熊本機関区に新製配置された。同一ロット416〜420のうち、418〜420が熊本へ配置されている。新製配置は熊本であるが、翌1966年度初めには鹿児島に配置されており、運用移管等が行われたものと思われる。鹿児島では鹿児島本線の幹線急行で使用され、急行「フェニックス」「日南」「かいもん」等の名門急行で活躍した。キハ58系では早期の1969年4月17日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2418へ改番されている。その後も国鉄末期まで鹿児島に在籍し、電化により幹線急行が廃止された後は急行を格下げした都市間快速やローカル輸送で活躍した。「61-11改正」では都城へ転出し急行「えびの」及び日豊本線の普通列車用となり、そのままJR九州へ継承された。JR化後は1987年度末に都城の車両配置が廃止され、1988年3月で大分へ転出した。大分では豊肥本線・久大本線の普通列車用となり、1988年12月29日付で「九州色」へ変更されている。1991年には直方との間で近郊化改造車との車両交換があり、当車はキハ28 2112と交換で1991年12月13日付で直方へ転出した。直方では筑豊地区を中心に普通列車で活躍したが、1993年度にはキハ200形・キハ125形新製による車両の入れ替えが行われ、当車は1993年9月度にキハ58 83と共に車両配置の復活した人吉へ転出した。なおこの転出に先立ち、1993年2月22日付でワンマン化及び近郊化改造が行われている。人吉転出後は肥薩線で活躍した。しかし人吉時代は長くなく、1996年3月16日付で熊本へ転出した。以降は豊肥本線のワンマン普通列車で長く活躍したが、2004年には人吉区の車輛配置が廃止され熊本へ統合されたことと、運用の整理により所要数が減少したことにより、2005年3月7日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態。放送ジャンパ受栓は、晩年の小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されているが、位置は他車より幌側へ寄っている。タイフォンカバーは、スリット状カバーを装備する。正面窓上の雨どい・通風口が撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。貫通扉には大分時代の大径ヘッドマークの取付跡が残っていることに加え、鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイの跡も存在する。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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