キハ28 420 → キハ28 2420



1965年10月12日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で熊本機関区に新製配置された。同一ロット416〜420のうち、418〜420が熊本へ配置されている。新製配置は熊本であるが、翌1966年度初めには鹿児島に配置されており、運用移管等が行われたものと思われる。鹿児島では鹿児島本線の幹線急行で使用され、急行「フェニックス」「日南」「かいもん」等の名門急行で活躍した。当車はキハ58系では最初期の1969年1月12日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2420へ改番されている。その後も国鉄末期まで鹿児島に在籍し、電化により幹線急行が廃止された後は急行を格下げした都市間快速やローカル輸送で活躍したが、需要の減少により余剰気味となっており1984年3月8日付で「らくだ」へ改造され、回転クロスシートへの改造と塗装の変更が行われた。以降は団体用・波動用で活躍し、1985年には一部の「らくだ」が他のジョイフルトレインに改造され、別の車輛が加わった際に塗装が一新された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き「らくだ」として活躍したが、特急列車の充実によりジョイフルトレインの需要が落ちてきこと、回転クロスシートでは当時すでに見劣りがすることから一般車に格下げされることになり、1990年代中盤には塗装も九州色へ変更されている。その後1998年7月22ににはワンマン化が実施された。当車は、キハ58系が大幅に淘汰された2001年の10月改正以降も主に指宿枕崎線・肥薩線・吉都線で使用されるたが、2006年6月〜7月にキハ220形が大分に新製配置されたのを期に車両の大幅な転配が行われ、鹿児島地区のキハ58系ワンマン車は捻出されたキハ40系に置き換えられ用途廃止となり2007年6月18日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。制御用KE53ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されており、九州では珍しい。放送ジャンパ受栓は、晩年の鹿児島地区標準のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、スリット状カバーを装備するが、運転席側は本州と共通のカバーで、助手席側は九州独自の形態のスリット状カバーとなっている。。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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