キハ28 425



1965年11月4日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で金沢運転所に新製配置された。同一ロット425〜429のうち、当車のみ金沢へ配置されている。金沢では山陰本線へ向かう急行「大社」や、北陸本線の急行「越後」等で活躍した。1971年6月には北陸地区の急行の運用移管が行われ、当車は1971年6月17日付で新潟へ転属した。新潟では急行「うおの」「よねやま」「羽越」等、比較的平坦線の急行で使用された。この状態は長く続き、東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で新潟担当の急行が大幅に減少したのちは、一般型気動車に混じり越後線や弥彦線の普通列車で使用されるようになった。しかし1984年4月8日に越後・弥彦線が電化されると余剰となり、1984年4月9日付で広島へ転属した。広島では残存していたキハ26を置き換え、主に岩徳線・岩日線で使用されたが、「61-3改正」に伴う非電化路線の編成見直しにより余剰となり、1986年4月18日付で七尾へ転属した。七尾では残留していた0番台非冷房車と交代し普通列車で使用されるようになったが、国鉄最後の「61-11改正」で高山本線北部がJR西日本継承と決まり富山に同線向けの車輛を配置する必要があったことから、当車は高山本線用に1986年10月30日付で富山へ転出した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は引き続き富山配置で高山本線北部や氷見線・城端線で使用されたが、1988年3月に能登線が第三セクター化された際に七尾から富山へ冷房車が転入し当車は余剰となる。しかし当車は山陰本線京都口の客車列車を気動車化する際に活用されることになり、1988年9月13日付で福知山へ転出した。しかし当車は非冷房車であったことからあまり使用されず、1989年3月31日付で廃車となった。

イラストは新潟時代の1982年のものである。JR化後の姿は確認できていない。
前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓はステップ下部に設置されている。
側面はほぼ原形である。
屋根上もほぼ原形である。
床下も、ほぼ原形である。


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