キハ28 427 → キハ28 2427



1965年11月4日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット425〜429のうち、426・427が千葉へ配置されている。千葉では房総地区全域の急行で長く活躍し、1970年3月23日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2427へ改番された。以降も引き続き房総地区の急行で活躍したが、房総地区幹線の全線電化の完成した「50-3改正」で余剰となり、1975年3月13日付で和歌山へ転属した。和歌山では急行「きのくに」で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」が全て特急「くろしお」へ格上げされ和歌山区は廃止され、当車も1985年3月14日付で書類上一旦亀山へ転出する。その後徳島地区で活用することになり、1985年5月14日付で徳島へ転出した。徳島では徳島本線の急行「阿波」「むろと」を中心に使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年4月の改正でキハ58のみの配置であった高知へ5月4日付で転属し、同区の普通列車の冷房化を行うことになった。以降主に土讃線の普通列車で使用され、1988年10月17日付で四国色へ変更された。以降も土讃線の普通列車で活躍し1990年11月16日付で近郊化改造が施工された。しかし高知へも1000形が投入されると余剰となり、1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場にて前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。当車の冷房電源用ジャンパ受栓の位置は、初期冷房車の低い位置のままである。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。テールライトは内ばめ式のままである。当車は千葉時代の名残で千葉ヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。そしてその水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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