キハ28 433 → キハ28 2433



1966年1月19日日本車輌製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で高松運転所に新製配置された。同一ロット432〜434のうち、432・433が高松へ配置されている。高松では四国全域の急行で活躍し、四国では晩年の1972年5月29日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2433へ改番されている。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降手狭になってきた高松運転所の高徳本線運用が徳島気動車区へ移管され、当車も同年度中へ徳島へ転出した。以降は比較的平坦な徳島地区の急行列車で使用され、国鉄末期の急行削減、高松からの余剰キハ65転入後も生き残り、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年4月改正でキハ58のみの配置であった高知へ4月25日付で転属し、同区の普通列車の冷房化を行うことになった。以降主に土讃線の普通列車で使用され、1988年10月28日付で四国色へ変更された。そして1990年7月20日付で近郊化改造されている。引き続き土讃線の普通列車で活躍したが、高知へも1000形が投入されると余剰となり、1993年11月30日付で廃車となった。

前面は、多度津工場で四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型である。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。当車は国鉄末期まで徳島配置であり汚物処理装置を取り付けないまま近郊化改造されたため、当然便所部側面にも点検蓋は付いていない。
屋根上は、当次車以降のデッキ上通風器が冷房化以降も残存している。
床下では、便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。そしてそのタンクは新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る