キハ28 440



1966年3月29日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第2次民有で金沢運転所に新製配置された。同一ロット438〜440のうち、当車のみ金沢へ配置された。金沢では山陰本線へ向かう急行「大社」や、北陸本線の急行「越後」等で活躍した。1971年6月には北陸地区の急行の運用移管が行われ、当車は1971年6月17日付で新潟へ転属した。新潟では急行「うおの」「よねやま」「羽越」等、比較的平坦線の急行で使用された。この状態は長く続き、東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で新潟担当の急行が大幅に減少したのちは、一般型気動車に混じり越後線や弥彦線の普通列車で使用されるようになった。しかし1984年4月8日に越後・弥彦線が電化されると余剰となり、これに先立つ1984年3月24日付で七尾へ転属した。七尾では残存していたキハ26に代わり主に普通列車で使用された。国鉄最後の1986年11月改正では七尾へ名古屋局から状態の良い冷房車が転入したことから当車は余剰となるが、JR移行に際しJR西日本富山運転所管轄となる高山本線の猪谷〜富山間の運用に備え、1986年10月30日付で富山に転属し、そのままJRへ継承された。JR西日本に継承されたキハ28非冷房車は当車と425番の2両しかおらず大変貴重である。JR化後は七尾から冷房キハ28が富山に転入したため余剰気味となっていたが、1988年10月より山陰本線京都口(現在の嵯峨野線エリア)が保津峡新線開業・電化に伴う準備工事のため客車列車の気動車化を進めることとなり、1988年9月13日付で福知山へ転属した。福知山では前述の通り嵯峨野線電化前の京都口輸送に使用されたが、1990年3月に嵯峨野線電化が完成すると余剰となり、1990年3月31日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。タイフォンカバーはシャッター式のままである。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓はステップ下部に設置されている。
側面はほぼ原形であるが、ナンバー上部付近にサボ受けが増設されている。
屋根上もほぼ原形である。
床下もほぼ原形で、新潟時代のスノープロウは撤去されている。新潟では水タンクのFRP化が早くから進められたが、当車が換装されたかどうかは不明である。


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