キハ28 443 → キハ28 2443



1966年4月9日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット441〜445のうち、442・443が和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」を中心として紀勢本線の急行で使用され、キハ58系では早期の1969年12月26日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2443へ改番された。引き続き和歌山配置で急行「きのくに」で長く活躍したが、「57-11改正」の運用見直しで捻出され、急行「かすが」用に奈良へ転出した。しかし奈良区の気動車配置は1984年で廃止されることになり、1984年9月30日付で亀山へ転出した。亀山では急行「かすが」の他、関西本線・片町線の普通列車で使用された。国鉄最後の「61-11改正」では急行「かすが」の運用が名古屋担当となり、普通列車専業となりそのままJR西日本へ継承された。JR化後は、1987年7月13日の信楽線転換後は亀山のキハ58は余剰気味であったため、1988年9月30日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰となった。当車は後期車であることから引き続き活用されることになり、1990年3月10日付で米子へ転出した。米子では山陰本線の普通列車で使用されたが、1994年には山陰本線下関口の気動車化を進めることになり、1994年5月15日付けで小郡へ転出した。小郡では黄色の「広島普通色」に塗装変更され、山陰本線下関口及び山口線で普通列車で使用された。その後1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2003年5月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強は和歌山時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すりは原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。テールライトは新製時から外ばめ式である。正面窓上の通風口・水切りは残っている。当車は種別表示幕の横に、列車無線アンテナを挿す筒が設置されており、これは亀山配置車の名残りである
側面では、乗降ドア隅の丸窓が完全に撤去され無くなっている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。前位側デッキに箱型通風器が残存している。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。


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