キハ28 445 → キハ28 2445 → キハ28 7001



1966年4月9日日本車輌製の6-6次車で、昭和40年度第1次債務で大分運転所へ配置された。同一ロット441〜444のうち、当車のみが大分へ配置された。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で使用され、1969年2月21には早くも冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2445へ改番された。その後も国鉄末期まで大分配置で急行「由布」「火の山」をメインに使用されたが、「60-3改正」以降は指定席車へキロ改造のキハ28 5200番台が投入されたり急行列車の減車が進んだこともありキハ28は余剰気味となり、当車は1986年5月25日付で志布志へ転属した。志布志には当時数少なくなっていたキハ26や初期型のキハ20が大量に残っており、これらを淘汰するための転属であった。しかしながら国鉄末期の1987年3月までに志布志線・大隅線が廃止されると用途を失い、志布志機関区の廃止と共に1987年3月度で都城へ転属した。そしてそのままJR九州へ継承された。都城では急行「えびの」や普通列車で使用されたが、同区の廃止により1987年度中に鹿児島へ転属した。鹿児島では2188が車籍復活したことも相まって当車は新設されるジョイフルトレインの種車となり、1988年7月28日付で小倉工場にて「アクアエクスプレス」の先頭車へと改造され、車番もキハ28 7001と改められ竹下気動車区へ配置された。改造後は「アクアエクスプレス」として香椎線で主に使用されたが、そのアコモから団体・臨時列車に使用されることも多かった。その後九州ではジョイフルトレインの縮小が相次ぐが、当車は定期列車として使用しやすい構造であったため、急行「くまがわ」用に活用されることになり、1993年3月18日付で熊本へ転属した。熊本では「アクアエクスプレス」のロゴのまま急行「くまがわ」で使用されたが、急行「えびの」の運転系統変更の際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、大幅に改造され、原形の面影はないが、205系電車にも通じるセンスあるデザインに仕上げられている。。
屋根上も大幅に手を加えられ、クーラー横の通風器が撤去された代わりに、クーラー間に強制換気が追加された。
側面は固定窓化され、更に側窓上部にも曲面窓が追加され、大幅に改造されている。便所は残置されているが窓は閉塞されている。前位側の乗降ドアが窓の大きい新品に交換されている。冷房化の際に3位側側面に吸気口が設けられている。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われている他はほぼ原形である。


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